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昭和50年代・60年代初期の浦安

昭和50年代・60年代初期の浦安

昭和40年に着工した埋立て事業により、浦安市の面積は拡大し、昭和56年3月に現在と同じ16.98km2となりました。その後、住宅の開発が急激に進み、昭和56年4月に、人口約6万人の「浦安市」が誕生しました。翌年、首都高速道路湾岸線の全面開通などによって、ますます便利になった浦安市の人口は順調に増え続けました。

小・中学校、警察署、図書館、病院などさまざまな施設が整備されていったのもこの時代です。また、昭和58年4月には、 東京ディズニーランドが開園し、新しい浦安のシンボルとなりました。

浦安駅の周辺だね



浦安駅の周辺の写真
駅を利用する人が急激に増えたから駅前広場も浦安駅も改修工事が行われたんだよ。
京葉線の線路をつくっているところね。京葉線はもともと貨物線として計画されていたんだよ。貨物線として建設工事中の国鉄京葉線の写真
新浦安駅の周辺の写真 道路やマンションがきれいにならんでつくられているね。埋め立てにより誕生した新浦安駅周辺も、街が無秩序にならないよう計画的に作られたんだ。

浦安市の人口が急に増えて、小学校や中学校もこの頃にいっぱいできたのね。そう!新しく都市化された浦安市へと発展していったんだ。
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