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浦安市の移り変わり

浦安市の移り変わり

「浦安町」は、明治42年に誕生しました。この当時は4.43km2だった町の面積は、昭和40年から着工した海面埋立て事業により拡大し、昭和56年に約4倍の16.98km2になりました。そして、この年の4月に千葉県では27番目の市として「浦安市」が誕生しました。浦安市は、埋立て事業により面積が約4倍になりましたが、全国的にみると、とても小さい市です。

現在のような都市化が進んだ浦安市になるまでには、高潮や洪水など多くの自然災害を乗り越えた先人の苦労や、漁業を中心とした生活を根本的に見直し、職業の転換を決断した漁業者など、浦安市の礎をつくってきた人々の勇気と努力があったことを決して忘れてはなりません。

昔の浦安は小さかったのね
昭和23年のようすの写真

昭和47年のようすの写真
下
そうだね。埋立によって浦安の面積は明治42年(明治42年)の約4倍にも広がったんだ!!
わーすごい!こんなに大きくなったのか!でも、海の様子は昔と今とでずいぶん変わっているね。
平成5年のようす
埋め立てなどの開発によって、陸地が増えた反面、遠浅の海(干潟)が少なくなってしまったんだ。

ところで「干潟」ってなんだろう?河口付近の海の浅い場所で、潮が引くと陸になる場所のことをいうのよ。干潟は川が運んできた砂や泥が長い年月をかけて河口付近にたまった場所です。引き潮のときに平坦な陸地として現われますが、潮が満ちると海水に沈んでしまいます。河口付近の流れが緩やかで波の影響を受けにくい場所、例えば入り江や内湾によく発達します。浦安市に面した三番瀬は東京湾の最奥部に位置しています。川から流れ込んだ養分を砂の中にすむ小さな生き物が食べ、小魚がその小さな生き物を食べます。そして干潟にすむそれらの生き物を狙って鳥たちが集まってきます。このように干潟はさまざまな生き物に利用されています。
年代によって浦安はどんなことがあったかな?
昭和20年代・30年代

昭和40年代
昭和30年代

昭和50年代・60年代

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