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テーマ展示室「海とともに」

ページID K1002064 更新日  平成20年9月8日  印刷

魚介類の宝庫・浦安

展示室内はなだらかなスロープになっていて、皆さんを浦安の海に案内します。そこでは、干潟の豊かさや大切さをジオラマ(模型)や水槽などで見ることができます。また、浦安の漁業について、映像や実際に使われた漁具を用いて紹介しています。

展示室の水槽

水槽の画像

展示室入口の干潟のジオラマ(模型)に続いて、水槽が配置されています。かつて東京湾にいた魚や、ボランティアの方がとってきたものまで、さまざまな魚がいます。

海の映画館「チャンコの海」

海の映画館の画像

海の映画館では、べか舟に乗って、浦安の四季折々の漁の様子を見ることができます。
チャンとは、浦安弁で自分の父親のことです。チャンコとなると、自分の父親以外の、親しい年配の男性のことを指します。孫にせがまれた元漁師さんが、昔の浦安の海に向けて出発します。さて、どんな漁が見られるでしょうか。
なお、撮影は現役漁師さん・元漁師さんの協力のもと、2年がかりで行われました。中には現在、東京湾はおろか日本ではほとんど見ることのできない漁法の記録をとることもできました。

春・夏編で紹介した漁法

腰マキ漁・投網漁・カレイ網漁・底曳網漁・マキ網漁

秋・冬編で紹介した漁法

鵜縄網漁・打瀬網漁・刺網漁・ポウポ漁・のり漁・大マキ漁

オカのくらし

海から陸に上がると、魚介類の流通や加工をグラフィックや道具を用いて紹介しています。また「ことばの収蔵庫」では、浦安弁の会話の中に入り込むような体験もできます。

浦安弁ワールド ことばの収蔵庫

ことばの収蔵庫の画像

漁師町浦安では、独特なことばの文化があります。「ことばの収蔵庫」では、軽快なテンポとウィットにとんだ「浦安弁の世界」を味わうことができます。3人の漁師さんやおかみさんたちの話の輪に入って、ことばの文化をお楽しみください。
内容は、「ガキ大将 境川は風呂がわり」、「海での修行 ケエでポカリ」、「アサリ売り パンにペンキが」、「別れのタンゴ 仙人の思い出(当代島地区)」、「銭湯物語 イシャそんなにイラあんのけ(猫実地区)」、「遊び名人 シンコ細工は肥溜めに(堀江地区)」の6編です。

アッサリー、シジミよおー 浦安の売りっと

昔の自転車の画像

大消費地、東京に隣接した浦安では、江戸時代の川柳にもなっているように、行商を行う人が多くいました。行商の人はボテあるいはウリット(売りっと)と呼ばれ、魚介類を中心とした品物を売り歩いていました。
大正時代の記録では、夏期に1000人、冬期には1600人が行商に従事していたとあります。販売圏は東京のみならず、神奈川県や埼玉県など関東一円に広がっていました。東京方面へ売りにいく行商を「東京商い」、地方の湯治場などにいく行商を「旅(商い)」と呼びました。
東京商いは大きく分けて、こどものアサリ売り、女性の背負い商い、男性の自転車商いの3つがありました。この中でも行商の中心は男性でした。特に、第2次世界大戦後は自転車で、都内はもとより、遠くは多摩地区、または埼玉県や神奈川県まで、日帰りで行商をしていました。

変わりゆく浦安

「漁師町としての浦安」がどのようにでき、またどのように漁業に別れを告げ、新しい町へと変貌していったのか。
わが町「浦安」の歩んできた歴史を、写真や文書、映像などで紹介していきます。

板碑発見

板碑の画像

浦安は江戸川の最下流に位置し、上流からの土砂が堆積してできた土地です。貝塚などの遺跡をはじめ、古文書類も度重なる水害などにより、ほとんど残されていません。
大正7年(1918年)に編纂された「浦安町誌」によると、猫実の豊受神社が創建された保元2年(1157年)には、すでに集落が成立していたと記されていますが、今のところ、それを実証する資料は見つかっていません。
しかし近年、中世期の浦安に関する資料が見つかり始めています。その一つが、堀江の正福寺境内で発見された板碑です。板碑とは、中世に造られた石製の供養塔で、地域によって使用石材の種類や形態は異なりますが、13世紀前半から16世紀にかけて多く造られました。特に数が多いのは、東京・埼玉を中心とした関東地方で、秩父産の緑泥片岩を原料にした武蔵型板碑は、その数、4万基にも上るといわれています。
正福寺境内で発見された板碑も同じ形態のものと思われ、銘文を読み取ることはできませんが、この地で中世に生活が営まれていた可能性を示す資料です。

浦安亭

浦安亭の画像

浦安亭は、昭和30年代まで堀江の一番通り(現フラワー通り)近くにあった寄席(大衆芸能の演芸場)です。明治43年(1910年)に建てられ、浪花節や講談など、いろいろな出し物が演じられました。この浦安亭を模したコーナーでは、講談師が浦安の歴史を知る上で欠かすことのできない2つの出来事を語ります。

「おらん町の生命線」(講談:宝井琴柳)
浦安の人々にとって、戦争の次に思い出したくないといわれているキティ台風(昭和24年)。この台風で堤防は決壊し、浦安は壊滅的な被害を受けました。その原因となった高潮を科学的に探るとともに、浦安の人々が強固な堤防建設に向けて一致団結した様子を語ります。

「べか舟の涙、そして夢」(講談:神田紅)
浦安の町を大きく変えた漁業権放棄と海面埋め立て事業。そのきっかけとなった本州製紙事件(昭和33年)を中心に、当時の日本や千葉県の情勢を語りながら、浦安の漁師たちがそれぞれ海への離れられない思いを持ちながらも漁業権を放棄し、新しい道を切り開いていった様子を語ります。

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電話:047-305-4300 ファクス:047-305-7744
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