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魚屋(旧太田家住宅) 市指定有形文化財

ページID K1002069 更新日  平成20年9月8日  印刷

魚屋の画像

旧太田家住宅は、堀江のフラワー通り沿い(浦安市堀江三丁目11番7号)から移築しました。建築様式は切妻造りの瓦葺木造平屋建てで、小屋裏2階がつきます。明治38年(1905年)頃の建築と言い伝えられています。店にはL字型の土間があり、昭和7年(1932年)まで、ここで魚の行商人相手に魚屋を営んでいました。

建物の特徴

旧太田家住宅の特徴は、店の隣に通りに面して玄関があることと、小屋裏(屋根裏)の空間を設けていることです。小屋裏をできるだけ広くとって利用するために、漁師の家の小屋裏とは異なり、「与次郎組」という梁組を用いた、しっかりした造りになっています。もともと物置として使用していましたが、その後、畳を敷き、押入れを造り、一部の壁を壊して窓をつくり、寝室として利用しました。

魚屋

魚屋内部の様子

旧太田家住宅では、昭和7年(1932年)まで「久清」という行商人相手の魚屋を営んでいました。浦安では手に入らない魚や練り物(さつま揚げなど)を築地で仕入れ、船で大川端(江戸川岸)まで運搬し、そこから大八車に積んで店まで運びました。商品を店の土間に降ろすと、店主と行商人たちが掛け合いで値段を決めていきます。浦安ではこのような商売をカシケーダシ(河岸買出し)と呼んでいました。行商人は、買った商品をトロバコごと持っていきました。勘定はその日の夜、太田家へ払いにきました。トロバコは、翌朝、太田家が集めに回りました。

第二次世界大戦後、浦安の市場で再び魚屋「久清」を開きました。そこでは生魚を扱わず、干物、スルメ、鰹節などの塩干物を中心に扱っていました。とくに自家製の煮豆は評判がよく、大変売れたということです。

生活用水の使い分け

井戸の画像

旧太田家住宅には、土間の隅に井戸が掘ってありました。水道が引かれる、昭和13年から14年ごろまで使っていた井戸で、炊事や洗濯などに使っていたと言われています。浦安の井戸には塩分が混じっているため、飲料水には適していません。太田家でも飲料水は水屋から購入していました。普通、飲料水は水がめに入れて土間などで保存していましたが、太田家では屋外に水がめ専用の小屋を設けていました。


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