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地域名の由来

ページID K1000021 更新日  平成27年2月3日  印刷

大字とは、市町村の行政区画で、一般に小字が集まった比較的広い地域のことです。浦安市には19の大字があります。

大字

大字とは、市町村の行政区画で、一般に小字が集まった比較的広い地域のことです。

浦安市には、猫実、当代島、北栄、堀江、富士見、東野、鉄鋼通り、富岡、今川、弁天、海楽、入船、美浜、舞浜、港、高洲、日の出、明海、千鳥の19の大字があります。
堀江、猫実、当代島は住居表示前まではたくさんの小字があり、また、北部・南部の土地改良区も小字名がついていましたが、埋立地は埋め立て前の海に洲や漁場などの名前がつけられていただけで小字はありませんでした。

明海(あけみ)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第2期海面埋立事業で昭和53年9月26日誕生。
字名(地区名)「明海」は、さんさんと太陽が輝く明るい海にちなんで名付けられました。

今川(いまがわ)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第1期海面埋立事業で昭和43年6月24日誕生。
字名(地区名)「今川」は、かつて漁師たちが「えまっか」あるいは「いまがわ」と呼んでいた水路(漁場から境川河口に通じる水路で正式名称は「江間川澪」)に接しているところから名付けられました。

入船(いりふね)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第1期海面埋立事業で昭和46年8月2日誕生。
字名(地区名)「入船」は、この地区がかつて漁場から帰る漁船の水路の入口にあたるところから名付けられました。なお、入船とは、正月に神前に飾る「ごぼうじめ」と同義語で、幸を招く言葉を意味しているといわれています。

海楽(かいらく)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第1期海面埋立事業で昭和46年8月2日誕生。
字名(地区名)「海楽」は、戦前ここに潮干狩りでにぎわう「海楽園」と呼ばれる遠浅の行楽地があったことから名付けられました。

北栄(きたざかえ)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
北部土地改良事業前は、耕地で29の字がありましたが、事業後5字(元割・新中宿・辰己・砂田・北境)になり、さらに昭和56年、住居表示で「北栄」になりました。
字名(地区名)「北栄」は、旧字名の「北境」と、この地区に浦安駅があることから将来発展することを見込んで名付けられました。

高洲(たかす)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第2期海面埋立事業で昭和55年3月24日誕生。
字名(地区名)「高洲」は、「千鳥」同様、埋め立て前の漁場の名称を生かして名付けられました。

千鳥(ちどり)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第2期海面埋立事業で昭和54年9月21日誕生。
字名(地区名)「千鳥」は、かつてこの地が「鳥棒(とりぼう)」と呼ばれた漁場であったことから名付けられました。

鉄鋼通り(てっこうどおり)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第1期海面埋立事業で昭和43年6月24日誕生。
字名(地区名)「鉄鋼通り」は、この地域に東京の鉄鋼材販売業者によって造成された「鉄鋼団地」があることから名付けられました。

当代島(とうだいじま)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
明治22(1889)年の村制施行時に浦安村を構成した3区画の1村(残る2村は堀江村、猫実村)。
村名であった字名(地区名)「当代島」は、鎌倉時代に田中十兵衛がここを開墾して人々が住みつくようになったが、住民はこの土地を当代(現代の意)にできた島であるからと、「当代島」と名付けたといわれています。また、昔ここに灯台があったからという説もありました。

富岡(とみおか)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第1期海面埋立事業で昭和43年6月24日誕生。
字名(地区名)「富岡」は、明治の終わりごろに堀江の内田佐平次という人がこの地を中心に16万平方メートルに及ぶ池を作り、ウナギやボラの養殖を始め、その後、この池を富岡という人が買い受けて養殖業を経営していたので、人々がこの池を「富岡の池」と呼んだことに由来します。

猫実(ねこざね)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
明治22(1889)年の村制施行時に浦安村を構成した3区画の1村(残る2村は堀江村、当代島村)。
村名であった字名(地区名)「猫実」は、鎌倉時代、大津波で大きな被害を受けた集落の人達が豊受神社付近に堅固な堤防を築き、その上に大きな松の木を植え、今後はこの松の根を波浪が越さないように願ったことから「根越さね」といわれ、それがいつしか「猫実」と称されるようになったといわれています。
現在の猫実3丁目から4丁目の境川沿いに近い猫実の商店街も堀江の商店街同様、長い間浦安の繁華街としてにぎわっていました。

東野(ひがしの)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第1期海面埋立事業で昭和43年6月24日誕生。
字名(地区名)「東野」は、浜土堤(境川東水門から見明川までの旧堤防)の東南は昔は洲になっており、ヨシやカヤの生い茂る原野であったため、「東方にある原野」の意味から名付けられました。なお、同地区は海面埋立事業前からその大部分が堀江字東野と呼ばれていました。

日の出(ひので)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第2期海面埋立事業で昭和53年9月26日誕生。
字名(地区名)「日の出」は、この地区が浦安市の東に位置し、市内で最も早く海から日が昇るのを眺めることから名付けられました。

富士見(ふじみ)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
南部土地改良事業で昭和47年に誕生。
かつてこの地は堀江耕地といわれ、豊かな水田でしたが、昭和30年代には周辺地域で工業開発が進み、工場の地下水汲み上げで地盤沈下が起こり、堀江耕地はコイやフナの生息する沼に変わり耕作不能となりました。このため土地改良事業を行い、事業後4字(富士見・旭・吹上・河口)になり、さらに昭和57年、これらの字を統一して「富士見」となりました。
字名(地区名)「富士見」は、もとこの地の境川に「富士見橋」が架かり、橋の上から遠く富士山を望むことができたことから名付けられました。

弁天(べんてん)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第1期海面埋立事業で昭和43年6月24日誕生。
字名(地区名)「弁天」は、この辺りの漁場が昔から漁師の間で「弁天」と呼ばれていたので名付けられました。

堀江(ほりえ)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
明治22(1889)年の村制施行時に浦安村を構成した3区画の1村(残る2村は猫実村、当代島村)。
村名であった字名(地区名)「堀江」は、鎌倉時代、すでにこの地に小さな港が作られていたことから堀江村と名付けられたといわれています。
現在の堀江2丁目・3丁目の境川沿い、フラワー通りを中心とした地区は長く浦安一の繁華街としてにぎわい、かつては演芸館や映画館もありました。
なお、かつて旧江戸川の対岸に堀江村の飛地がありましたが、明治28年に東京府南葛飾郡葛西村に編入されました。現在も江戸川区東葛西、南葛西に堀江という地名が残っています。

舞浜(まいはま)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第1期海面埋立事業で昭和50年11月29日誕生。
字名(地区名)「舞浜」は、日本の代表的な神楽舞「浦安の舞」にちなんで名付けられました。
舞浜の由来については、これまで、浦安市史(昭和60年3月発行)などで『大規模レジャーランド(東京ディズニーランド)が建設される地域であるため、アメリカ合衆国のディズニーワールドの近くにあるマイアミビーチにちなんで命名された。』としてきました。
しかし、前市史の記述を検証する中で、昭和50年11月29日の町議会において、熊川好生町長(当時)が「浦安の舞にちなんで舞浜と名付けた」と説明し、可決されたという事実を再確認したことから、前市史などの記述を改め、「浦安の舞」を地名の由来とします。

港(みなと)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第2期海面埋立事業で昭和54年9月21日誕生。
字名(地区名)「港」は、この地区が昭和48年に策定した「総合開発計画」で将来鉄鋼流通基地の中心的な位置になっており、港としての利用が考えられることから名付けられました。

美浜(みはま)

浦安市行政区画、19大字の一つです。
第1期海面埋立事業で昭和46年8月2日誕生。
字名(地区名)「美浜」は、かつてこの地が遠く房総の山々を望み、干潮時になると美しい砂浜が一帯に連なり文字通り美しい浜であったことにちなんで名付けられました。

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