沿革と市域の変遷
ページID K1000013 更新日 令和6年4月1日 印刷
本市は、東京湾の奥部に位置し、東と南は東京湾に面し、西は旧江戸川を隔てて東京都江戸川区と対峙し、北は市川市と接しています。
市制施行
昭和56年4月1日(県下27番目、人口65,662人)
沿革
昭和23年の浦安
撮影:京葉測量株式会社
明治22年(1889)4月、町村制の施行にともない、堀江、猫実、当代島の3村が合併して「浦安村」となり、明治42(1909)年9月に「浦安町」となった。東京に隣接しながら三方を海と川に囲まれた陸の孤島であったため、明治、大正、昭和も戦前までは大きな発展はなかった。
しかし、昭和37(1962)年に漁業権の一部を放棄、昭和39(1964)年から海面埋め立て事業が始まると浦安は大きく姿を変えていった。昭和44(1969)年に地下鉄東西線が開通し、また昭和46(1971)年に漁業権を全面放棄して第2期海面埋め立て事業が行われた結果、総面積はかつての4.43平方キロメートルの約4倍の16.98平方キロメートルに拡大、急速に都市化が進んだ。
以来、昭和56(1981)年4月に待望の市制施行「浦安市」が誕生した。昭和58(1983)年には東京ディズニーランドがオープン、その後も周辺地区に大型リゾートホテルなどが建設され、国際色豊かなまちになった。昭和63(1988)年12月にはJR京葉線も開通し、新浦安、舞浜の駅周辺の整備も進み、浦安は東京ベイエリアを代表する都市として発展を続けている。
位置と地勢
本市は、東京湾の奥部に位置し、東と南は東京湾に面し、西は旧江戸川を隔てて東京都江戸川区と対峙し、北は市川市と接している。
これを経緯度によってみれば、東経139度56分22秒から139度52分20秒、北緯35度37分00秒から35度40分23秒に及ぶ、東西6.06キロメートル、南北6.23キロメートルで、その面積は18.79平方キロメートルである。土地は、旧江戸川の河口に発達した沖積層に属する低地と、その約3倍に及ぶ公有水面埋め立て事業によって造成された埋め立てからなっており、おおむね平坦である。
市域の変遷
明治42年9月1日
4.43平方キロメートル
町制施行。
昭和43年6月24日
6.77平方キロメートル
公有水面の埋立により、東野、富岡、今川、弁天、鉄鋼通り誕生。
昭和46年8月2日
8.65平方キロメートル
公有水面の埋立により、海楽、美浜、入船誕生。
昭和50年11月29日
11.34平方キロメートル
公有水面の埋立により、舞浜誕生。
昭和53年9月26日
13.77平方キロメートル
公有水面の埋立により、日の出、明海誕生。
昭和54年9月21日
15.41平方キロメートル
公有水面の埋立により、港、千鳥誕生。
昭和55年3月24日
16.66平方キロメートル
公有水面の埋立により、高洲誕生。
昭和56年3月12日
16.98平方キロメートル
公有水面の埋立による0.32平方キロメートルを、千鳥の一部に編入。
令和6年4月1日
18.79平方キロメートル
実面積と差異が生じていたことから、国土地理院が示す測定方法に準じて測定し見直す。
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